2015年2月9日月曜日

お久しぶりです

お久しぶりです。エレーヌです。全く更新しないまま2学期を迎えました。
で、ちょっと面白い記事を見つけたので、1学期のまとめをする前にこっちに言及したいと思います。

日本とフランスのエリート教育
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4年前と、かなり古めの記事なのですが、かなり同じものを今のフランスにも感じます。
実は(もなにもないですが)私が通っているEcole de Management Strasbourgはおそらくこの方が進学されたEcole de Commerceの改変後の学校だと思われます。
実際今はそこまでグランドゼコール臭は強くないですが、実際グランドゼコールプログラムも開かれており、大学とグランドゼコールの間くらいの位置ではないでしょうか。

エリート意識というのは置いておいて、私の大学に去年留学していた子たちはみな今はEMを卒業してベルギーやどこかでスタージュをやっています。
つまり、この方のおっしゃる通り国際色がとてつもなく豊かなんです。みんな海外に行くことも海外の子を受け入れることも別になんてことなさそうです。
そしてこの学校も例外なくprépaが必須条件となってきます。つまり、この学校に入るために準備学級にいくのです。
今日私が会ってきた女の子もprépaで勉強してきた1年生でした。
このprépaといい、グランゼコールといい、日本にはない概念なので少し難しく感じます。
フランスの教育体系として、基本的にはBacから何年経ったかで自分が何をするのか決まります。たとえば、準備学級に行っていると、大学には入っていないので学士から取らなければ、ということもなく、今日あった彼女は20歳ですが、Bac+3だからとマスターを勉強しているのです。
基本的にフランスの教育はできる人には早くいろんなことをさせる国だと思います。
日本はみんなが平等に、みんなが上にいることを望む底上げ教育ですが。ならばそうかといってフランスの下の子たちは野放しか、というとなんとなくそうでもなさそう。
日本と同じくらいな気がする。
わたし的にはできる子にはなんでもやらせてあげるのもいいと個人的には思います。
つまり、飛び級賛成派だということです。この飛び級制度、フランスの場合は本当によく考えられていて、頭さえ良ければどんどん次に進めるのかというとそうでもありません。
フィジカル面でも差がでてきてしまうとそれは子供の精神に影響を与えるということで2回までかな?とか、回数が決められてるのです。(曖昧でごめんなさい。)
本当教育に関してはよく考えられている国だよなあと本気で思います。素晴らしい。学費もすごく安いし。
ただ、やっぱりそこには文化というものがあるし、それは歴史に根付いているものでもあるので、結局日本には日本のやり方があるんだろうな、と思いました。フランスは個人主義だからきっとまわりとかあんまり気にせずに生きていけるんだろうけど、日本人はどうしてもグループの文化だからだれかが秀でちゃったりすると影響が少なからず出てきちゃいますよね。うん。やっぱり日本は日本でいいのです。うちはうち、よそはよそ、ですね。

最近フランスの文化に影響されてか、私は私だし、相手は相手だよね、って思えるようになってきました。今まで日本でも考えるようにしてきたけど、むずかしかったんです。
でも、それこそ国によっていろんな考え方があるのもすごく正しい事だから、世界にでたら別に違うことが当たり前になっちゃったんです。
それに、もちろん日本に興味を示してくれる子たちはとっても多いけど、それ以上に日本という国に興味を持ってない人も多いのです。
中には、ロールプレイングで日本の役があるとき、隣のフランス人は「中国も日本も変わらないっしょww」と言っててすこーしむむっとしたけれど、確かに世界、って広い視点でみたら全然同じだよな、と私も思うのです。まあそりゃ細かいところをあげたら全然違うけどさ。
でも言うなればこっちだって欧米人ってもっと大きく括ってるときもあるわけで。
よくよく見てみたらフランスとイタリアとか全然違うし、ドイツとフランスも全然違うし、北米と南米も違うし。
じゃあ、みんなどうやってつるんでるのかしら。って思うんですけど、結局「人柄」なんですよね。
その人自身の人柄で付き合ってるんです。
でもそれって簡単なことのように見えてとっても難しくて、難しいことのように見えてとってもシンプルなものでもあります。
つまりいうと、よく日本人にありがちなのは、欧米人と仲良くするためにもクラブとかではっちゃけるぞーーーー!みたいなタイプですよね。
でも、それって無理してないかな?って思うんですよね?楽しいのはわかるけど。あとあとふとしたときにヘトヘトになってたりしませんか?
つまり、欧米人だから、とか、アジア人だから、とか、自分を偽る必要はないということです。そのままでいいということです。ね、シンプルでしょ?
ところが、じゃあシンプルにいるということは、どういうことなのか。それってそうやって自分を偽るよりも結構タフなことです。自分のまま友達をつくるってどういうことかって、それは結局話さないとダメってことなんです。日本でもどこでも、基本的には関係をつくるのは同じなんです。
喋らないと始まらないんです。ところが日本人にとってはこれが大変。そもそも授業で話しかけることもあまり日本ではない上に、場所は外国。しかも周りは英語も使いこなす(というよりほぼほぼネイティブ)猛者たち。
そんな中に日本人が入っていくのは一苦労ですね。でも、しゃべるしかありません。しゃべれないことよりも喋ろうとしないことのほうがだめなんです。
英語が下手でもしゃべる意思があれば相手は意思を尊重してくれます。
日本人って意見がないって思われがちです。たしかにある場面では本当にそういうこともあるんですけど、パーソナルな意見ならみんな持ってるはずなんです。日本人だっておしゃべりするの好きでしょ?
そう思ったら、友達を誘ってご飯食べたりするのも別になんとも思わなくなってきたんです。いままで、欧米人ってそういえばどうやってカフェとか行くのかしら?とか思ってたけど、いいんです。合わせなくて。特に私みたいな交換留学はみんながそれぞれ文化の違いを知りたいと思ってるんです。いつも通りやって、それで、変ね。って言われたら、あー!そうなの?!日本ってこーいう感じだから。。。失礼だったらごめんなさい。。。それでオッケーなんです。

いまこうやって色々書いてることもここ1週間くらいで最近ようやく理解できたところです。(つまり私もこれから頑張らねば。。。)ただ一つ。先にも書いたように日本に興味を持ってる人というのは実は少ないです。
つまり、日本を押しすぎてはいけないということです。あくまでも、自分を出すということ。それはバックグラウンドというのはあくまでも背面にあるものであって、全面に出すのではありません。あくまでも自然な自分を出した上で、そこにバックグラウンドがある、という話なのです。


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